藤原実方朝臣
伝統芸能で魅せる
「名取寄席」と銘打ち、伝統芸能で地域の
魅力を再発見する名取ならではの寄席。
ここ10年間は、「新・名取寄席」としてシ
リーズ化し、ご好評を頂いてきました。
今回「続・名取寄席」としてコンセプトは
受け継ぎながらも生まれ変わりました!!。
藤原実方朝臣(ふじわらさねかたあそん)
名取の人ならどなたも知っている?有名人。
愛島の地に眠る藤原実方朝臣。今回はこの方
にスポットをあて、話芸でその人となりを紐
解いていくというものです。
時は平安時代。光源氏のモデルとも言われ
る美男子、左近衛中将実方朝臣。当時は和歌
を詠うことはその人となりの力量、才覚の有
るなしを問われた時代。平安末期に藤原範兼
が「後六々撰(のちのろくろくせん)」として
選び抜いた和歌の名人36人の総称「中古三十
六歌仙」の一人に数えられている実方。
殿上人(天皇の日常生活の場である清涼殿の
殿上間に昇ることが許された人たち)が揃っ
て花見に出かけたところ、にわか雨に降られ
大騒ぎに・・・でも実方は少しも慌てず
「 桜がり雨は降りきぬ 同じくは
ぬるとも花の蔭にかくれむ 」
(お花見をしているうち、雨が降ってきた。
どうせ濡れるなら、花の蔭にかくれ、花を
愛でながら濡れよう・・・)
と詠い、悠々と振り来る雨に濡れ、装束を絞
ったということです。
これが大評判となり、皆口々にその雅な風
流心を褒めたたえました。でも、今、大河ド
ラマで有名な藤原行成だけは、「おこ(馬鹿)
なり」とこれを批判しました。
それを聞いた実方は、後日殿上で行成とい
ざこざとなり、行成の冠を取り、庭へ投げ捨
ててしまいました・・・。
諸説ありますが、一条天皇は、その出来事
を収めるために、実方に「歌枕を見てまゐれ」
と命じられたということです。
当時、東北の地は歌枕が豊富で、都人にと
って、その地を一度は訪れてみたいと思いな
がらも、そこで陸奥守として仕事を命ぜられる
ことは「左遷」されたという事のようでした。
その実方、陸奥で4年を過ごし、任期もあと
わずか、都人から帰りを待たれることになりま
したが、数奇な運命が待っていました・・・。
玉川奈々福(たまがわななふく)さん
神奈川県出身。1995年二代目玉川福太郎
に入門。師の勧めにより2001年より浪曲師
としても活動。2006年「奈々福」として名
披露目。
様々な浪曲イベントをプロデュースする他、
自作の新作浪曲や長編浪曲も手掛け、他ジャン
ルの芸能・音楽との交流も行う。平成30年文化
庁文化交流使としてイタリア、スロベニア等7ケ
国、さらに中国、韓国、アメリカでも公演を行
っています。第11回伊丹十三賞受賞。
浪曲は、曲師の弾く三味線との掛け合いです。
曲師が客席ではなく、浪曲師の方をを向いてい
るのは、なんと即興で、その時の語り、のり、
流れで弾き、間合いを取るからとのことでした・・
題して、「浪曲百人一首 恋歌編」
低音の迫力、高音の伸び、抑揚の聞いた節(歌)
と啖呵(セリフ)は圧巻です。実方の様子が映像
として頭の中に浮かんできます・・・。
生き生きとした実方を肌で感じることが出来ま
した!。
トークコーナー
浪曲師、玉川奈々福さん、講談師、神田織音さん
によるトークコーナー
進行は、今回の企画のプロデュースにも一役頂い
ている古典空間の小野木豊昭さん。
お二人とも、今日のためにものすごく時間をか
けられ、実方の人となりに迫ろうとしたことが伝
わってきました・・・。
神田織音(かんだおりね)さん
東京都出身。高校時代から俳優として演劇と向
き合い、約10年後の1999年神田香織に入門、2011
年真打昇進。講談協会所属。
古典講談はもとより、現代社会の様々なテーマに、
史実や取材を基に講談を仕立て、身近な話題として
受け止めていく取り組みを続けておられ、「見てき
たような嘘をつき」と言われる講談という話芸の特
徴を活かした幅広い活動を全国各地で行っておられ
ます。
時は平安・・・静かな語り口から始まりました。
実方は、何にこだわり、何を求め、何をしたかった
のか・・・。
題して、創作講談「中将藤原実方朝臣伝」
まことの言葉とは・・
最後は熱く!
150年後にこの地を訪れた西行法師は何を
語ったのか・・・